看護師になるための最後の難関「国試」。
もう何年も前のことなのに、今でも当時のことを鮮明に覚えています。
めちゃくちゃ大きな会場にたくさんの人!
今後の人生をかけた試験というプレッシャーから涙が出てしまい、教員の先生に見送られながら会場へ入りました。
試験が始まっても隣の人の鉛筆の進む音が気になり、気持ちは焦るばかり・・・
終了して自宅へ帰る時の電車内では、友人と一緒だったにも関わらず、終始無言でした。
合格発表まで、生きた心地がしなかったことをホント懐かしく思い出します。
今回は、看護師国家試験の思い出やエピソードについて現役看護師さんに聞いてみました。
季節柄、大雪が降ったりする可能性もあるので、前日から試験会場近くに宿泊して挑まれる方も多いみたいですね。
年に1度のチャンスを逃す訳にはいきませんから、できる対策は施しておくべきですね!
私が国家試験を受けた時は、必修が午前と午後にわかれていました。
前の年までは午前中に30問だったので必修は午前中だと思っていただけに、16問目から突然難しくなり焦って手が震えました。
しかし、出来る問題からやっていこうと思い直し、そこからは気持ちを切り替えて試験をうけました。
昼休憩には、必修の話でもちきりでしたが、みんなが同じだったので安心しました。
試験を落としたと思ったのか、何人か昼からテストをうけずに帰った人もいました。
昼からは落ち着いて試験を受けました。
国家試験はそれだけで緊張するので、ちょっと違うことが起こると頭が真っ白になります。
気持ちを持ち続けることが大切でした。
国家試験は、とにかく暗記暗記暗記!でした。
基本的に問題が選択問題だったので、語呂合わせや、頭文字だけ覚える、というような試験対策をしていました。
あとは、とにかく問題集を繰り返しやることに力を注ぎました。
なんとなく見たことあるような問題だと落ち着いて解けるのですが、見たこともないような問題が出ると急に焦ってしまって、そこに時間をかけすぎてしまったりするからです。
また、試験会場が遠方の場合は、少しでも近くに宿をとったら方が安心かもしれません。
試験当日は、なんと試験会場の近くの駅で、ちょうど電車が止まり、再開の目処は未定という状態になりました。
私は電車で2駅ほどの場所に宿をとっていたので会場へはタクシーで向かいましたが、かなり焦りました。
タクシーも捕まらなかった人は、走って会場へ向かったと言います。
試験に落ち着いて臨むため、試験対策と交通対策をしっかり行っておくことが大切だと感じました。
看護学校は各学年2クラスしかなく、だいたいみんな仲良しでした。
先生もとても厳しくも優しく、試験前にはなんと大きな白い布を一枚持ってこられ、大きな筆で『全員合格』の文字を書き、その周りにみんなで名前とメッセージや意気込みなんかを書き込みました。
試験当日は、先生も遠方なのに朝から駆けつけてくださり、その布をみんなに掲げてくださいました。
校長先生からは五角形の鉛筆(五角と合格をかけて)のプレゼント、主任先生からは受験シーズンお馴染みのキットカットとメッセージカードのプレゼントがありました。
生徒同士は、合格のご利益のある待受画像なんかを送り合い、全員で試験合格を目指しました。
あんなにたくさんの人と、同じゴールを目指し、団結したという経験は、かけがえのない大切な思い出です。
受験のチャンスは年に一度きり。
都内での受験でしたが大雪で交通機関がマヒしたら、試験を受けられない可能性がありました。
そのため前日から試験会場近くのホテルに泊まり、万全の体制で試験に臨みました。
ただ慣れないホテルで過ごした一夜は、落ち着かない気もしました。
最後の実習が終わった次の日には、みんな国家試験対策の勉強をはじめていました。
使用する問題集はクエスチョンバンク派が多かったのですが、それだと1つの解説しかわからないので、私は他の出版社の過去問を購入しました。
先生から1冊の過去問を最低5回は繰り返すようにいわれ、ひたすら問題集を解いていました。
また時事ネタやその年度の統計問題も出ていたので、厚生省のホームページにも目を通していました。
勉強できた期間は短いですが、かなりの時間を勉強に費やしていたと思います。
緊張していたため、午前の試験の時、回答用紙に名前を書いたか記憶がありません。
普通なら覚えているだろうことなんですけど、始めのこと過ぎて忘れていたのかも。
回答自体は出来ていたので、名前書き忘れで不合格にならないか、それだけが不安でした。
無事に合格がわかったときにはちゃんと書いてあったんだ!と嬉しくなったのを覚えています。
看護師の国家資格の試験会場は、都内の大学で40人程度ほどでいっぱいになるような小さな教室でした。
そのため試験室の中は同級生ばかりでしたので、比較的リラックスして受験できました。
思い出としては受験生が圧倒的に女性が多いためトイレがとても混んでしまい、男性トイレも女子用に使っていたようです。
苦肉の策だったかと思いますが、男性トイレは何だか入りにくく、長い列に並んだ記憶があります。
臨床実習が全て終わってから国家試験までの間にクラスの人全員で、授業後に自分の得意分野を教えあいました。
自分たちで、いつどの病態生理や疾患についての勉強会をするか時間割を作りました。
全てが自由参加だったので、自分の不得意なものだけ参加するようにしていました。
16年ほど前になりますが看護師国家試験を受けました。
内容は詳しく覚えてはいませんが、試験前に友人と猛勉強したことは覚えています。
また、試験当日は馴れないスーツで受験票を何度も確認して会場まで専門学生で揃って受けに行きました。
終わってからはもう、やりつくしたから後は結果を待っていました。
結果が出るまではもしも落ちたときのことばかり考えていました。
しかし、合格の連絡を受けてからは本当に看護師になることよりも、専門学校で頑張った事が実った喜びの方が嬉しかったことを覚えています。
お陰様で結婚、出産を経ていまでも現役の看護師をつづけています。
私が国家試験に臨んだ頃に必須問題が出来ました。
この必須問題を落としてしまうと一般問題がどれほど出来がよくても不合格になってしまうので、必須問題に比重を置いて勉強しました。
学校の先生もとにかく必須問題を重点的に勉強しなさいと指導してくださっていたのを覚えています。
私は准看を経て正看護師の資格を取りましたが、准看の経験が多い人程、国家試験の過去問に苦労していた印象が残っています。
5年前に国家試験を受けました。
国家試験前は、模擬試験ばかりで国家試験に向けて試験会場の雰囲気をつくり、試験練習を学校でしていました。
本番当日は、とても寒くて試験会場には同じ学校の生徒だけではないため緊張感がとても増しました。
時間も長いようでとても早く感じました。
午前と午後にわかれていますが、午前中の試験が終わると不安で涙が出たのを思い出しました。
国家試験当日、子供がインフルエンザになりましたが帰ることもできないため、親に任せて、できるだけ考えないようにしていました。
試験はとても難しく、午前必修を解いたあと、これは確実に落ちたと思い、昼休みに友達と看護師ではなく別の職業を携帯で探しました。
午後の問題は比較的簡単だったおかげで?無事合格し現在看護師として働けています。
もともと、あまり勉強をしていなかったので、実習で受け持った以外の病気なんて、国家試験の勉強の段階になって初めて知った!というものもありました(汗)
専門学校だったので、これまでの3年間を無駄にしたくないと必死でしたね。
でも、かなり昔なので、まだまだ看護師不足な時代だったんですよね。
正直、合格率が98%とかだったので、名前さえちゃんと書けば受かる、なんて言われていた頃だったので、そこはラッキーでした。
合格した時に、実習で受け持っていた患者様が、とても喜んでくださり、嬉しくて涙が出ました。
山形県の看護学校から受験するには、仙台の会場に行かなければならず、前日から仙台のホテルに宿泊したのを覚えています。
東北の方では、国家試験が行われる2月第4日曜は、まだ雪も残っており、気温も低いため、天井の高い試験会場は肌寒かったです。
席は、会議室で使われるような3人掛けの長机で、真ん中一人分空け、両端に受験生が座るようになっていて、パイプイスに長時間座っての試験は、なかなか辛かったです。